Astrology_Arcturus

西洋占星術と精神世界の冒険

霊的身体論の考察② エーテル体は「にょーん」というくらいユルい何か

触覚でとらえた身体イメージとしてのエーテル体(下の前記事参照)を感じるのは誰でもできる。というより、それは触覚なのだから感じて当然だ。
 
目を閉じて体の中や皮ふの周囲を感じてみると、もやもやとした感じや流れている感じ、あるいは満ちている感じや欠乏している感じなどが全身にわたって感じられる。これをエーテル体と考えればよい。
 
慣れてくると、このエーテル体は餅のように「にょーん」と、体の周囲に触手を伸ばしているようにも感じられる。その触手は意識を向けたところへ向かい、特に関心や興味を抱いたものにはしっかり接続されるようだ。
 
そんな遠くまで触覚が機能するとは思えないので、これは意識の状態が触覚に投影されたものだろう。エーテルが見えるという人なら、視覚にも投影されることになる。
 
いずれにせよ、この「にょーん」もまた誰にでも感じられると思う。「エーテル知覚の開発」みたいに肩に力の入った感じではなく、遊び感覚でやればいい。
 
「にょーん」は餅のようなものなので、そちらへ引き寄せられるような体感が伴うかもしれない。好きな異性のそばにいくと、視線や意識だけでなく、体まで磁力のようなものでぐーっと引きつけられる感じはしないだろうか。そのとき、体の周りの空気の流れのようなもの(エーテル)を感じると、その対象へ「にょーん」と伸びていることが感じられるだろう。
 
松村潔さんのオーラ本に、そのエーテルを相手に引っ掛けてグッと引っ張ることで、相手の気持ちを振り向かせられるといった内容があったが、これはある種の魔術といっていい。実際にそれが可能かは、ここでは検討しないが、いずれにせよそういう「にょーん」を観察するのは面白い。
 
「にょーん」は目の前にある事物だけでなく、抽象的なイメージや記憶にも触手が伸ばされるので、何もない空間に「にょーん」が複数伸びているといった場合、気になる物事がいくつか保留されていたりといったことがある。
 
その場合、過去の物事が後方か右側に、未来の物事が前方か左側に配置されると考えられるが、半田広宣さんのヌーソロジーでは前後が逆なので、そういうパターンもあるかもしれない。老子は後ろ向きに牛に乗った(つまりすでに経過した道=未来が前方となる)というから、これはヌーソロジーと同じだ。
 
いずれにせよ、そのような「にょーん」がいくつも伸びた状態では集中力が保てないので、仕事や勉強や運転の時などには、意識的に「にょーん」を体の中に引っ込めたほうがいいだろう。ただし、創造性と関係することについては、こうした「にょーん」によって、さまざまな印象につながっていたりするので、なんでもかんでも引っ込めたほうがいいというわけでもない。
 
これと似たようなことは、さまざまなヒーリング法でもいわれているが、「にょーん」というくらいにユルい感じで遊んでみてもいいのではないか。
 
なお、何らかの症状のある箇所から「にょーん」が出ている場合、そのつながった先が原因になっていることもある。この原稿の下書きを書いている時点で私の腰は大変痛んでいて、そのあたりからはたくさんの「にょーん」が後方の空間に向かって伸びている。ちょうど題材としていいので、それぞれをたぐってみてもいいのだが、痛いので面倒(しかし、文章は書けるという)。
 
次の日の清書の段階では痛みはだいぶ軽くなっていて、「にょーん」も感じられない。やりかけの物事の優先順位について迷っていたので、それが、一晩寝て整理されたということだろうか。
 
続きもまたエーテル体、かな。