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西洋占星術と精神世界の冒険

霊的身体論の考察① エーテル体は触覚による身体イメージ

スピリチュアルの世界には、「人には肉体以外に層を成して存在する『霊的身体』が存在する」といういわゆる霊的身体論がある。流儀によって呼び方はいろいろだが、肉体に近いものから「エーテル体」「アストラル体」「メンタル体」「コーザル体」などと呼ばれたりする。
 
以前から折に触れてTwitterなどでも書いてきたが、ここでは、よくあるような霊的身体論とは別の切り口から述べてみたい。
 
まず、なぜ「体」なのか? ということについて。
 
たとえば、アストラル体は感情に関係するといわれ、「感情体」とも呼ばれるが、なぜ、「感情機能」ではなく「感情『体』」なのだろうか?
 
「肉体」が、自己同一性を保つ細胞群による、ひとまとまりの独立した系であることを考えるなら、霊的身体のそれぞれもまた「体」である以上、そのような独立した系だと考えればいいだろう。
 
逆に言えば、人がいくつもの霊的身体によって構成されるという考え方は、「人の中では独立した系がそれぞれに機能している」という観察に基づくものではないか。たとえば――、
 
知性は「出社するために起きないといけない」と考えているけれど、
感情は「会社なんか行きたくない!」と感じていて、
肉体は条件反射的に目覚ましを止める
 
こういった心身のバラバラさを、まるで別個の「体」がそれぞれに機能しているととらえたものが霊的身体論と考えてよい。これは、肉体に魂が宿るとする「霊肉二元論」の発展形と考えてもいいだろう。
 
そのうち、今回はエーテル体について考えてみよう。
 
エーテル体は、霊的身体論において肉体の2-3センチ外まで広がっているグレーがかったブルーのエネルギー体だとされる。肉体にエネルギーを滋養し、鍼灸の経絡、気功でいう「気」などもこれに関係するという。また、訓練すると、ねばねばとした感触や暗いところでぼやっと見えるようになるといわれる。
 
このエーテル体に関して私は、触覚(圧感覚・熱感覚・冷感覚など含む)でとらえた身体イメージではないかと考えている。
 
この身体イメージには、血液・体液の循環や内臓の働きなどが克明に反映されるため、たとえば健康状態のモニタリングなどに使える。鍼灸では、その感覚を重視し、またその感覚に変化を及ぼすことで体へ影響を与えようとする。
 
また、自律神経を介して精神状態が反映される(ストレスで胃がキュッとするなど)ため、身体イメージを介した心理療法が可能となる。自律訓練法やフォーカシングがその一例。気功で精神安定が得られるというのもそういうことだろう。
 
体表で感じている周囲の空気感もまたエーテル体に反映され、これを、「周囲環境にエーテルが感じられる」と表現していいだろう。「この場所には悪い気がある」などと言うとき、それは、周囲環境に感じる違和感をそのようにとらえているのだ。
 
ここでいうエーテル体、あるいはエーテルを感じるとるのは別に難しいことではない。スピリチュアルやオカルトの文脈で語られると何か特殊なことのように思えるが、要は触覚でとらえた身体イメージであり、体の中や体表すぐのところで感じられる、体液や空気の流れるような感じ、圧感覚、かたまりのような感覚、もやもや、ぴりぴりなどの感覚……などが「それ」である。
 
この感覚は意識を向けたところへ流れていくため、そこから「気の流れ」という解釈が生じる。実際、意識を向けたところへ血液などが流れていくので、それをキャッチしているとも思える。この現象を上手に利用すると健康状態の向上に役立つことはいうまでもない。
 
生まれつきか訓練によって、触覚と視覚の共感覚が発達した人は、このエーテル体を見ることができる。触覚を視覚に転換しているわけだ。
 
感覚の鋭い人は他者のそれも感知できるため、そこでヒーリングが可能となる。たとえば、患者のエーテルの少ないところに手を置くと、患者の意識はそこへ意識が向かうためエーテルを誘導することになる。物質レベルというと、血液や体液がそこへ向かうことになる。
 
「では、ヒーラーから患者へ『気』『エーテル』を送ることができるのか」という点については、また別の説明が必要だ。
 
エントレインメントという現象がある。小さな振り子の時計のそばに、大きな振り子の時計を置くと、前者の振り子のリズムが後者のリズムに合ってしまう現象だが、ヒーラーから患者への「気」「エーテル」の「伝送」のときもちょうどそれと同じことが起きている。
 
健康な人は身体の各パーツが同じリズムで動いている(動力源は呼吸のリズムだと思われる)が、何らかの症状を持っている人は身体の中に複数のバラバラなリズムが存在し、特に患部ではその傾向が顕著となる。つまり、体のほかの部分と調和的なリズムになっていない。
 
このリズムを振り子時計に例えると、振り子がバラバラなリズムで動くいくつもの時計が体内に存在することになる。
 
一方、健康な人は身体の各パーツが同じリズムで動いているため、実質的にこれを「ひとつの大きな振り子時計」ととらえることができる。
 
そこで、健康な人が病気の人のそばにいると(特に共感的な意識でそばにいると)、その振り子時計の「健康的なひとつのリズム」によって、病気の人の体内にあるいくつもの振り子時計が同期させられ、全体が調和的なリズムを刻みはじめることがある。
 
これを、「気」「エーテル」の「伝送」によるヒーリングと考えてもいいだろう。
 
ただし、逆に健康な人のほうが病気の人から影響を受けて、体内の振り子時計がバラバラに動き出すこともある。いわゆる「悪い気をもらう」というのがこれだ。
 
しかし、日頃から「気」「エーテル」というものへ意識を向けて訓練している人であれば、「ひとつの大きな振り子時計」として常に万全のコンディションを保とうとしているため、そういうことは起こりにくい。
 
――こういう風に説明すると、「スピリチュアル的なものを否定している」とか、「物理現象に還元することで矮小化しようとしている」とか誤解されそうだが、私の狙いはそこにはない。
 
むしろ、実はこういったことは誰にとっても身近なものであり、スピリチュアル体系の大伽藍など学ばずとも、もっと日常的に活用できるものだということを示したい。そもそも、こういったエーテル感覚は、ひと昔前までは誰にとってもまったく当たり前のことだったのだ。
 
予定は未定だが、この後はエーテル体の続きとアストラル体について述べていきたい。