なぜ「はてなブログ」でオカルトか
このブログにかんするスタンスを書いておく。
普通、オカルト、スピリチュアル、占いといった分野のブログは「アメブロ」で書かれることが多く、理系・高学歴者が多いといわれる「はてなブログ」はあまり選択されない。事実、占いをテーマにした「はてなブログ」はとても少ない。
では、なぜ私は「はてなブログ」で占星術のアーティクルを書くか? それは、占星術は《隠秘学》という意味でのオカルトだと考えるからだ。
《隠秘学》とは文系的知の極みであり、大人だけに許された至上の嗜み。
実証を旨とするのが理系なら、象徴思考を旨とするのが文系。《隠秘学》は象徴思考を大胆かつ繊細に展開する文系的知の極みである。呪術的思考が一層された近代以降において、なお、《隠秘学》が知識人たちを魅了してきたのはそういうことだ。
たとえば、「心霊現象研究協会」はケンブリッジ大学トリニティカレッジの3人の学寮長により設立され、そのアメリカ支部をウィリアム・ジェームズが設立。マーク・トウェイン、ルイス・キャロル、カール・ユング、J・B・ライン、コナン・ドイル、アルフレッド・ラッセル・ウォレスなどの支持者を擁した。彼らはオカルトに強い関心を抱くと同時にスケプティック(懐疑論的)でもあり、さまざまな霊媒たちのイカサマを暴いたりした。これぞまさに至上の嗜み。
日本でも70年代の知識人やアーティストの多くが《隠秘学》に強い関心をみせた。ヒッピー文化の影響でインドのグルへ傾倒する者も少なくなかったが、松岡正剛氏など適度なバランス感覚を保った者もいた。
人々がオカルトを毛嫌いするのは自分が洗脳されて何かの信奉者(ビリーバー)になることを恐れてのものだろう。理系エリートたちが、テロ宗教に次々入信したのだから無理もない。知性に自信のある人でも忌避したくなる。
しかし、だからこそ《隠秘学》を知るべきだ。文系的象徴思考を駆使した経験のない理系エリートほど、いったんオカルトに気を許すとそれに幻惑されやすい。ここは、「オカルトを遊ぶ」くらいの余裕が必要だ。
私のアプローチは懐疑主義と信奉者の隙間をいくもので、本当の意味でのオカルト《隠秘学》を知ることで、カルトへの狂信を回避できるものと考える。以下、そのスタンスが明瞭なツイートをいくつか紹介する。
なぜクロップサークルはイギリスの畑に集中してあらわれるのか?
占星術ではグリニッジに春分点を持ってきて、そこからぐるりと地球を一周するように、経度を30度単位で区切り、そこに12サインを配置する考え方がある。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 15
そうした場合、クロップサークルの出現する畑はうお座に該当することになり、うお座は人体でいうと足にあたる。つまり、クロップサークルとは、地球意識、あるいは人類の集合意識の「足跡」ではないか。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 15
それを造ったのがUFOでもプラズマでも、悪戯心の人間であっても、それはどうでもいいことだ。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 15
たとえ、クロップサークル宇宙人説を否定するために人力で作れることを証明してみせたのであったとしても、その選んだ絵柄には意味があるのではないか。地球意識、あるいは人類の集合意識がその人を道具として、その絵柄を描かせたとも考えられる。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 15
オカルト現象ありやなしや、ではなく、そういう視点で考えてみると、もう少し、世界は柔らかくなる。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 15
そう、私は世界をもう少し柔らかくしたい。
それから、こんなツイートも。
異界からの使者はなぜ天使からメタリックなUFOへ変わったのか? それについては、グルジェフの「生きとし生けるものの図表」(ヤコブの梯子)で考えると分かりやすい。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 16
人を中心にした場合、「脊椎動物」と「小天使」、「無脊椎動物」と「大天使」、「植物」と「永久不変」、「鉱物」と「絶対」が対応。図表には「金属」に対応するものはないが、これは外宇宙、高次のコスモスに対応すると考えればいいだろう。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 16
人類がメタリックなUFOを見はじめたのは、そのような高次のコスモスに意識が接触しはじめたことを意味する。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 16
UFOというのは異界から人類を見守る(あるいは監視する)目であり、結局のところ、不滅の意識としての私たち自身のことではないか。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 16
そのような目を自覚しているにも関わらず、それを外界に投影してしまうと、「(神など)何者かに見守られている」あるいは「(イルイナティなど)何物かに監視されている」といったパラノイアに陥る。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 16
統合失調症などもそういうことで、彼らは狂気と開悟の狭間で苦しんでいるといえる。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 16
超越的な目に監視されていると感じる者の多くは陰謀論に陥り、守られていると感じる者の多くは「シンクロ」をありがたがるポジティブ・スピリチュアリストになる。しかし、どちらもその目が自分の目であることを忘れており、シュタイナー流にいうと前者はアーリマン、後者はルシファーに操られている。
— 神谷充彦 (@mitsuhikokamiya) 2015, 2月 16
生きとし生けるものの図表
すべての人は象徴の海を生きている。であれば、その象徴を意識的に扱ってみてはどうか。意識的に扱うとそれはオカルト《隠秘学》となり、無意識に扱うとカルト《狂信》となる。カルトとは宗教ばかりではない。世の中にはカルトが満ち溢れている。
ツイッターとフェイスブックでは思い付きを書き散らしているので、専門用語が頻出し、裏をとっていない記事もある。このブログでは、ある程度、整理・整形したアーティクルをリリースする予定だ。