Astrology_Arcturus

西洋占星術と精神世界の冒険

天文学と占星術は「双子の兄弟」

 

天文学占星術は「双子の兄弟」のようなもの。

 

約1年で元の場所に戻ってくる恒星(星座)の位置が季節の移り変わりと連動していることに気づいた人類は、星の観察によって暦を作り、これが原初の天文学の礎となった。そうして作られた暦は農耕へ活用され、必然的に豊穣を願う宗教儀礼と結びつく。つまり、星を神と見なして祈りを捧げ豊作を願ったのだ。

 

ストーンヘンジなど、太古の巨石遺物は天文観測と祈りの場であった。また、オリオンの三ツ星がギザの大ピラミッドや住吉大神の三柱の神に対応しており、伊勢神宮道教由来の北極星・北斗七星信仰とかかわりが深いという話もある。

 

つまり、古代の人々にとって星空はまさしく神々の世界だったのだ。

 

 

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規則正しく巡ってくる恒星の動きは暦の基盤となったが、先人たちがその後に関心を抱いたのは、恒星の間をさまよう惑星たちの存在。「遊星」とも呼ばれた、それら惑星の勝手気ままに見える振る舞いは天界に遊ぶ神々による天意の表れと見なされ、必然的に、その意味するところを推定する占星術が発達した。

 

紀元前3000年から紀元前6世紀の間のいずれかの時期にバビロニア帝国で原初の占星術が確立し、紀元前7世紀の中ごろには、今に伝わる12星座がすべて出揃っていたという。

 

初期の占星術は、カルデア人たちによってアジア、ヨーロッパ、北アフリカ地域へと伝えられ、特にギリシアとアレクサンドリアでは高度な発達を遂げた。ヨーロッパにおいて占星術が「カルデア人の科学」と呼ばれてきたのはそのような経緯による。

 

占星術は紀元前4世紀にアレキサンダー大王のインド遠征により東洋へも伝えられ、ヒンドゥー(インド)占星術紫微斗数宿曜道といった東洋占星術に姿を変えた。日本には7世紀ごろに百済経由で占星術が伝わったようだ。

 

一方、ヨーロッパに伝来した「カルデア人の科学」には占星術天文学の他に数学や医学なども含まれ、まさに、当時の最高水準の科学といえるものだった。そのような叡智が集結したのが、紀元前332年にアレキサンダー大王によってエジプト北岸に建設された計画都市アレクサンドリア。そこにそびえる大図書館は70万冊もの蔵書を誇り、占星術天文学にかんする資料も大量に存在していたという。しかしその後、この街がローマ帝国の属領として没落したことにともないこの図書館も荒廃してしまう。

 

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現代のアレクサンドリア図書館

 

所蔵されていた書物のごく一部は残存し、写本として今に受け継がれている。そのうち占星術錬金術、魔術等にかんするものが「ヘルメス叢書」と総称される書物群だ。西欧のオカルティズムに興味を持つ者がまず研究すべきはこのヘルメス叢書であるといわれ、そのことから、魔術や占星術は「ヘルメス学」とも呼ばれている。

 

さて、そのアレクサンドリアにおいて2世紀ごろに活躍した天文学者に、かの有名なクラウディオス・プトレマイオス(約83~168年)がいる。彼は古代より伝わる天文学の知識を集大成し、自らの天体観測の結果をあわせて精緻な天文学理論を確立することに成功した。加えて、占星術の最重要古典ともいえる『テトラビブロス』を著し、現代の占星術にもつながる偉大な業績を残した。ホロスコープ占星術の天球図)を用いた占星術の基礎を確立したのも彼である。

 

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プトレマイオス

 

 

この段階でもいまだ占星術天文学と表裏一体のものであったが、やがてキリスト教の勢力拡大にともない占星術は徹底的に弾圧され、かたや天文学キリスト教神学に寄り添う形での存続のみ許されるようになった。占星術天文学にとっての暗黒時代の始まりだ。 その後、イスラム世界で高度な発展を遂げた占星術技法が12世紀ごろ(いわゆる12世紀ルネサンス期)にヨーロッパへ流入してきたことで、占星術にかんする知識の再興と発展が起こったものの、キリスト教神学の「壁」は依然として厚かった。

 

トマス・アクィナス(1225ごろ~1274年)など占星術に好意的なスコラ哲学者(神学者)も一部にはいたが、14世紀にチェッコ・ダスコリ(1257~1327年)というイタリアの学者がイエス・キリストホロスコープを作成したことを咎められて火刑に処されるといった事件も起きている。占星術は忌まわしき魔術の一種とみなされたのだ。

 

ただし、占星術を医学に応用した占星医学については例外だった。中世ヨーロッパにおいて占星医学は大学の医学部でも講義されており、流行の病は星からの影響によって引き起こされるというのが医学的な常識とされていた。「インフルエンザ(影響)」という言葉も実はその名残。本来は「星の影響」という意味である。

 

中世も後期になると、王侯貴族の中にも占星術を重用する者が増え、いわゆる「御用占星術師」が活躍するようになる。フランス王シャルル五世(1338~1380年)などは自ら占星術に精通し、蔵書のうち5冊に1冊は占星術書であったといわれている。